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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)10717号 判決 1972年1月31日

原告 宝田義一

右訴訟代理人弁護士 及川信夫

被告 佐藤金光

右訴訟代理人弁護士 滝川三郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二、一九四、八八八円およびこれに対する昭和四一年一二月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二、一 原告訴訟代理人は、請求原因として、

「(一) 昭和四一年一二月当時原告は日本国有鉄道東海道新幹線支社施設部管理課課員であり、被告は同課課長補佐であった。

(二) 原告と被告はともに同月二四日夜渋谷区上原の国鉄寮「こだま荘」で行われた右管理課の忘年会に参加したが、原告は泥酔し、前後不覚になったところ、被告は、原告を右寮に泊らせることをしないで、敢えて原告をその自宅まで送り届けることとし、右自宅附近である中野区東中野三丁目二一番一二号の森永牛乳店近くの環状六号線沿いの道路上まで連れて来て、泥酔している原告が、自力で自宅まで帰ろうと必死に起き上ろうとして、何度も転倒し、その際道路に頭をぶつけているのを見、原告が被告の保護ないし介添なしには帰宅できないこと、また、原告を放置すればその身に危険が生じ、少くとも怪我をするであろうことを知りながら遺棄したため、原告は転倒により頭蓋骨骨折、脳内硬膜外血腫の負傷をした。

(三) 被告の原告に対する右の仕打ちは保護義務に違反する違法のものであって、結局原告の右の受傷は被告の前記不作為による不法行為によって生じたものにほかならないから、被告は原告に対し右の受傷によって被った損害を賠償する義務がある。

(四) 原告は前記受傷により、次のとおり合計金二、一九四、八八八円の損害を受けた。

1  給与(賞与を含む)の減少による損害。金二〇一、四九〇円(その算出根拠は別紙(一)記載のとおりである)

2  退職金の減少による損害。金二八四、六九二円(その算出根拠は別紙(二)記載のとおりである)

3  退職年金の減少による損害金五三八、七〇六円(その算出根拠は別紙(三)に記載のとおりである)

4  原告は本件事故のため昭和四一年一二月二六日より昭和四二年三月三一日まで中央鉄道病院において入院治療を受けたが、原告の妻宝田郁子はその間の六〇日間半身不随の原告に付添っており、その付添看護料は、一日当り金二、〇〇〇円として、合計金一二万円となる。

5  また、原告は退院後通院のためハイヤー、タクシー等の使用を余儀なくされ、特に昭和四二年四月二八日より一ヶ月間湯ヶ原整形外科病院に入院中は付添っていた妻郁子も自宅との間の往復のため交通費の出費を余儀なくされ、それらの合計額は少くとも金五万円となる。

6  原告は、本件事故直後の前記傷害による苦痛、その後の半身不全麻痺、継続的な頭痛等に悩まされ、これが原因で何度となく休養、休業をせざるをえなかったため昇給も遅れる等のことから、職場での将来も暗いまま、退職を余儀なくされるに至り、本件事故により原告の受けた肉体的、精神的苦痛は筆舌に尽し難く、その損害は莫大なものであるが、一応慰藉料として金一〇〇万円を請求する。

(五) よって、原告は被告に対し前項の損害の賠償金として金二、一九四、八八八円およびこれに対する昭和四一年一二月二五日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

と述べ、被告の抗弁を否認した。

二 被告訴訟代理人は、答弁として、

「(一) 請求原因(一)記載の事実は認める。

(二) 同(二)記載の事実のうち、原告と被告がともに原告主張の忘年会に出席したこと、原告が負傷したことは認め(但し、負傷の原因、部位・程度は不知)、その余は否認する。

(三) 同(三)記載の事実は否認する。

(四) 同(四)記載の事実は否認する。」

と述べ、抗弁として、

「仮に被告に原告主張の損害賠償責任があるとしても、原告が昭和四六年一二月三日付請求の趣旨変更申立書により請求を拡張した金一、一九四、八八八円の損害賠償債権は本件事故発生の日から三年の経過をもって時効により消滅している。」

と述べた。

第三  証拠≪省略≫

理由

昭和四一年一二月二四日東京都渋谷区上原の国鉄寮「こだま荘」において日本国有鉄道東海道新幹線支社施設部管理課の忘年会が開かれ、当時同課の課員であった原告および同課課長補佐であった被告はともにこれに出席したことは、当事者間に争がない。

次に、≪証拠省略≫を綜合すれば、原告と被告は、二、三日前から仕事で出張していた名古屋より駈けつけて午後六時一〇分頃右の忘年会に参加したこと、そのようなことから、原、被告とも同日は昼食もとっていなかったこと、忘年会は午後五時半頃から始まって同七時二〇分頃閉会となったこと、原告と被告は、閉会まで酒を飲んでいたが、同七時四〇分頃、原告の自宅は東中野、被告の自宅は吉祥寺と中央線の同じ方向であったことから、連れ立って「こだま荘」を出たが、その際原告は別段泥酔しているような様子には見えなかったこと、右両名は「こだま荘」の近くのバス停留所から渋谷方面行のバスに乗ったこと、ところが、二人とも車中で寝込んでしまったため、渋谷で下車する筈であったのが、終点の世田谷車庫まで乗ってしまい、そこで降ろされたこと、それでタクシーを捜そうと歩いていたところ、原被告両名とも、突然警察官に取囲まれて揉み合をし、結局高井戸警察署まで連行されて約三、四〇分取調べられたが、原、被告の身分が判明して釈放されたこと、それから同署の警察官が呼止めてくれたタクシーに乗ったが、その際、原告は警察官に頭と足を持って運ばれてきてタクシーに乗せられたような状態であったこと、(なお、右のバスから降りて警察官と揉み合った場所とか連行された警察署については、当時原、被告ははっきり分っておらず、本訴係属後被告が調査した結果判明したものである)原告および被告は右のタクシーで中野区東中野の原告宅付近まできたのであるが、被告が原告を何度起しても寝込んでいて起きないため、被告は運転手を指示して付近をぐるぐる捜し回ったこと、しばらく捜したが結局見つけることができず、終いには運転手に苦情をいわれ降りてくれといわれたので、国鉄東中野駅東口の交番前で一旦降りたこと、その際も、原告はなかなか下車せず、被告が通りかかった者の助けでやっと降ろしたような始末であったこと、被告は、原告とともにそこから別のタクシーに乗り換え、再び原告宅を捜し廻ったが、またまた捜し当てない内に運転手から苦情をいわれ降車を求められたので、原告宅の付近で降りたこと、被告は、ようやく目を覚した原告に原告宅の所在をきいたが、まるで要領を得ず、かといってその場にいつまで立っていても致し方がないので、原告に対し、「捜してくるから、動かずに待っているよう」申し向けて、しばらく原告宅を捜して歩き廻ったが、依然見つからなかったこと、そこで、原告は、次第に疲れても来、また頼む者もいないことから、一旦自宅に帰って妻を連れてこようと午後一一時半頃タクシーに乗って帰宅し、直ちに妻を連れて東中野に引き返したこと、車中妻と話しているうちに、原告宅のある国鉄アパートに住んでいる者で被告の知っている訴外小松某に聞くのが早道であるということになり、まず原告宅を捜し当て同人の妻とともに原告を迎えに行くこととして、東中野駅に立寄りその鉄道電話を借りて訴外小松宅の電話番号を調べたうえ公衆電話から同訴外人に電話し原告宅の所在を教えて貰ったこと、かくして、被告はようやく原告宅に着くことができたこと、他方原告は被告らが原告宅に着くしばらく前に通行人に介抱されて帰宅したこと、原告は、同月二五日頭部に激痛を感じ起き上ることもできなかったが、日曜日で病院は休診ということもあって一日中寝ており、翌二六日の朝、様子がおかしいので中央鉄道病院に連絡したところ、至急入院するようにいわれて入院し、検査を受けた結果頭蓋骨骨折、脳内硬膜外血腫の負傷をしていることが判明したこと、が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

そして、原告が、前記のように「こだま荘」を出てから、その自宅に辿り着くまでの間、いつ、どこで、どのような原因から前記負傷をしたかに関しては、遂にこれを確認するに足りる証拠を見出すことができない。

のみならず、仮に原告の負傷がその主張のような原因によるものであったとしても、以上認定のような事情のもとでは、被告が原告を「こだま荘」に泊らせなかったこと、また、前認定のように原告を一人にしたこと等の措置をもって被告に原告の主張するような保護義務懈怠の違法があるとするのは酷に過ぎるものと解せられる。

したがって、原告の本訴請求は、爾余の点についての判断をするまでもなく、理由のないことが明らかである。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 真船孝允)

〈以下省略〉

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